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2009年12月11日 (17:39)

遠い未来の同業者

人生の節目に、必ずこの人が傍に居るという存在が、誰でもあると思う。



私の傍に、いつもいつも、一緒に居るナギは当然のこと、
気がつけば「あ」って意識させられる存在は。


自分が一番に思いつくのは、田舎の、母親の主治医。
母は、私が15歳の時に慢性病にかかったが、私もその時からの付き合い。
以来、もの凄く自分と近い位置に居るようになった(変な意味じゃなく)。
ひょっとしたら、主治医と母の関係より、主治医とその家族(=私)との関係の方が深いかも。


高校で衛生看護科を卒業して准看護師の免許を取った10代から始まり・・
看護師国試に受かった20代の時も。色んな節々には必ず祝ってくれた。


今から思うと、15歳のその頃から医療の道を目指していたから、彼としては
「遠い未来に医療の道を進むことになる同業者」として、応援する気持ちで
ずっと私をみていてくれたんだね。
…いま、これを書くことによって、初めて、本当の彼の気持ちが解った。



あれから、20年以上。
現在、母の主治医はそこの公立病院で二番目に偉い役職に就いている。
当時36歳だった若先生の歳を、自分も既に超えてしまった。
医療従事者になって自分ももうすぐ20年。人間と接して色んなことを学んだし、
医療の乗り越えられない限界、「死」というものを痛いほど学んだ。



最近、私に対する対応が変わった。
現在入院している母に対し、「同業者」として、家族の私に意見を聞いている
彼が居た。
話し方で相手の医師が自分をどう評価しているかくらいは、看護師として
働いてきたから解る。
それを感じ取れたとき、泣いた。
やっと彼に認めてもらえたんだと、静かに嬉しさが溢れてきた。

普段、病院でナースにどんな態度なのかも想像できたから。
結構、自己主張が強いタイプだろうし。


看護師になって6、7年の頃だったか、田舎へ帰った時
「おかぁさん!この子、△県(当時)で看護婦さんしてるんやで!」
と、親以上にアナタ感激してますね…ってくらい喜んでくれたり。
そうだよね。先生は、卵の頃から今に至るまで、見てきたんですもんね。
その時の心境は、看護学校の教官だったのか父親だったのか。
何度も何度も、この業界を辞めようと思ってきたけど、辞めないでいて良かった。


もう20年近く現役なのに、やっと看護師という肩書きで仕事が出来る、
そんな実感がある。
「死」の限界を超えられない職業、と嫌になったことが一番多かった。
みんなが、喜んでやって来るような場所で、仕事に就く人が羨ましかった。


「まだ20年? それで悟った? あほ言うなー(笑)」 と諭されたような。



先生を始め、実家の家族やナギとの東京家族、その他のお世話になった
人たちに恩返しするために、”職業”はまだ終わらせられない、と何故か思うに至った。


そして、やはり人生の「節目」に、彼が傍にいる。人生って不思議なもんだね。

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